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タイムマシーンがあれば名古屋市でも妖怪をウォッチできそうです。

田幡村の雷獣

現在の西区付近

田幡村の雷獣 写真

この目撃談に登場する春日井郡田幡村は現在の名古屋市には残っておらず、似た 名前の土地から「この付近がそうだったのだろう」と想像するしかありません。 北区田幡、西区田幡町が旧田畑村とそっくりの地名なので、春日井寄りのここらが 雷獣の目撃された場所かと思われます。 田幡村の名は田之端から来ていわれており、近くに田があったことが伺われ、 きっと緑も多いのどかな村だったと想像してしまいます。 雷獣の姿は獣(けもの)のようで、タヌキのようでありネコのようでもあり、イタチ やオオカミっぽいとも伝えられていますが、デジカメのない時代のことですので ここは伝聞に頼るしかないでしょう。 その伝聞ですが、徳川家に仕える藩士の高力猿猴庵が書き残した「猿猴庵日記」 という書物に何匹かの妖怪が登場しており、雷獣も出てきます。 〜日記の題名通り彼の身近で起こった出来事を綴っているこの書物ですが、そこに いくつかの妖怪話が載っているということは、この時代ではちょくちょく人間と 妖怪が接触していたことを裏付ける記録とも言えそうです。 お祭りがあったことを書いているかと思えば次の日にはさらりと妖怪との遭遇を 書いているので、自分が寝る前に書いてる鍵付きの日記とはかなり趣向が違うと 感じますが、高力猿猴庵さんは何百年も昔の人なので今の自分とは感性や興味の あることが全く違うのでしょう。 だいたい「猿猴庵日記」なんて本を作るセンスは自分には皆無です。



猿猴庵日記

高力猿猴庵の著書では1810年5月の出来事として雷獣が登場します。 原文のままでは現代人の皆さんには難解でしょうから、分かりやすい言葉に訳して 説明しますが、「そんなの大きなお世話だ、海外の小説でも翻訳されたものではなく 原作を読む私に対して侮辱に値する行為だぞ」と息巻く方は図書館などで自分の手で この日記を探して目を通してください。 名古屋市内にある大きな図書館なら見つかるかもしれませんよ。 ではいよいよ登場シーンですが、雷獣は当然のように雷の日にやってきます。 口から雷を吹くとか怒ると雷を発生させるとか、そんな話はあまり聞きませんが 一応雷にまつわるエピソードに今回はなっているようです。 その日は雷を伴う雨の日だったそうで、いうなれば雷獣日和でした。 大きな落雷と同時に落ちてきた雷獣は気の毒にも糞瓶にはまったそうです。 糞瓶とは農作業で肥料に使う糞尿を貯め置く場所で、その中に何が保管されて いたかは読者の想像にお任せしますがあまり良い匂いのする系ではないことを、 ヒントとして申し上げておきます。 その日糞瓶は満タンには遠く及ばない少量だったそうで、底が深く雷獣は自力で 脱出できなかったとのことです。 雷も去って雨が止むとおとなしくなった雷獣は、村人の手により生け捕りされます。 田舎ならありそうだ話だ、と思った人に言っておきたいのですが、名古屋だって昔 はこんなもんだったのですよ。


雷獣の正体

妖怪として名高い雷獣は本当に魑魅魍魎、妖怪の類だったのでしょうか。 そう疑問を挟む余地があるのは姿形が普通の動物に近いからで、イヌやタヌキに 近い姿をしているせいなのでしょうか。 もしかしたらネコやタヌキは知っているけどイタチを知らない人が、雷の日に 初めてイタチを見て「今まで見たことのないケモノだ。天気は雷、これが雷獣か!」 と妖怪に仕立て上げてしまっただけなのでは、とも思うのです。 「ぬりかべ」や「一反もめん」ならこうして疑うこともないのですが、雷獣はどうも 野生の動物に近い感じがするのです。 ただ「自分が知らない生き物だ、おっと今日の天気は雷か」というだけで妖怪扱い されていそうな節もあるのです。 現代においては妖怪の存在を否定する人もいますし、もし知らない4本足の動物 を見かけても「あれはなんて生き物だろう。家に帰ったら動物辞典で調べてみよう」 と落ち着いて常識的に考えたり、「ここらじゃ珍しい動物だな、住みついてた野良 でもないだろうし誰かにペットで飼われていたのが逃げ出したのかな?」と考える のが普通で、「うは、妖怪発見!」は異常な発想です。 でも200年昔の名古屋では知らない生き物に遭遇したら、「また妖怪かな?」 と考えるのが当たり前だったので、遠方から遠征してきた未知の野生生物を妖怪に 分類していても不自然なことではないのです。 なので「名古屋市で雷獣が目撃された」は「名古屋では珍しい動物を目撃した」 なのかもしれないのです。



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