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タイムマシーンがあれば名古屋市でも妖怪をウォッチできそうです。

尾張の踊り猫

愉快に踊る猫

尾張の踊り猫 写真

踊り猫は名古屋市中区の伝馬町で江戸時代に目撃談がありますので、その頃の文献 を探せばどんな妖怪だったのか分かります。 尾張霊異記といういかにも不思議現象を紹介していそうな書物によると、井筒屋 久兵衛さんの家でたくさんの猫がダンスに興じている姿が目撃されたそうです。 当時流行のスタイル、手拭を被っての踊りだったようで、普通の猫には真似できない この踊りをしていたのは間違いなく人間に近い知能を備えていたことの証明になる と私は思うのですがどうでしょうか。 町民や農民の踊りを模倣して踊るその姿はまるで人の子が遊んでいるかのように 見えたかもしれませんが、子猫だったかもしれないけれどとにかく猫だったそうです。 なぜ子猫だったかも、と言うのかについてですが、そこにいたのはなんと56匹もの 大群だったので、全てがオトナの猫だったかはわからなかったと思われるからです。 2匹だけならそれぞれがオトナ猫か子猫かの判別も一目でできますが、56匹の猫 がいたら子猫がいるかなんて気にせず「猫だ、いっぱいいるから数えてみよう」 と毛の色や性別、成長具合は後回しにして何匹いるのかをカウントするのを優先 するからで、商人も多かった当時の名古屋市中区ではこれが当たり前の思考でしょう。 あまり数字を気にしなさそうな農村で目撃されたのなら子猫がいるかも注意深く観察 するかもしれませんが、伝馬町の踊り猫を目撃した人はそうではなかったのです。 手拭を被って踊る56匹の猫、自分がそれを目の当たりにした時に何から確認 するかといったら、やっぱり人に正確に伝えられるよう数かもしれません。



夜通し踊る猫

尾張霊異記によると踊り猫が目撃されたのは八つ時、夜の26時頃のようです。 夜行性の猫ならその時間に遭遇することもあるでしょうが、妖怪だからそんな深夜に 遭遇することができたともいえます。 井筒屋久兵衛さんはその踊り猫を巳前の時刻までひとりで見ていたとのことですから、 相当見ごたえのある猫ダンスだったのでしょう。 巳前はだいたい午前8時〜9時なので、6時間以上鑑賞していたことになります。 休日の昼間にならそんな朗らかな時間の過ごし方も楽しそうですが、これは深夜の 話なので睡眠時間を削ってまで井筒屋久兵衛さんは56匹の猫の踊りを見ていた ことになり、動物好きな人物だったのかもしれません。 もし彼が現代に生まれ変わったら休日は公園でハトに餌をやったり、車検から 戻ってきたピカピカの自動車で山へ出掛けてバードウォッチングをしたり、 癒しを求めてネコカフェに通っているかもしれません。 6時間以上猫に触ろうともせず見ているだけで満足できるなら愛好家を名乗っても 文句を言われないですし、猫博士でも通用しそうです。 そして驚くべきことにそれだけの時間眺めていたにもかかわらず、妖怪っぽい話は 手拭を被って踊っていたことしか話には出てきません。 尻尾が8本ある猫とか妖力を使ってネズミを調理したとか、怪奇現象はなくただ 踊っていたことしか記録に残っていないのです。 見た目は普通の猫(黒猫がいたことは記述されていますが)が踊っていた話で、 こんなに恐くない怪談はそうありません。



開放され踊る猫

井筒屋久兵衛さんの住宅は当時の住所で説明すると本町3丁目の東側にあり、 なかなか賑やかな地域だったことが伺えます。 本町通りは名古屋城の真正面にある本町門に通じる、一年中人通りの多い地元民 なら誰でも知っているししょっちゅう通行する道でした。 南に進めば東海道にも出られ、この2本が交わる交差点は高札の掲げられる場所 ということもあり、用事がなくても訪れる人々が多かったようです。 人の通るいい道があればそこで商業が発展するようにこの付近も碁盤割という 名古屋市屈指の商業地域でしたから、久兵衛さんもなにか商売をしていた羽振りの 良い男前の方だと思われます。 そして当時の猫ですが野良猫の数は多くはありませんでした。 お金持ち用のペットとしての地位が猫には与えられていたので、いくら名古屋市 でも野良猫はそんなに見かけなかったはずなのです。 それまでは首輪を付けて紐で繋いで飼われていた猫ですが、1602年に開放せよと のお達しがありこれ以後野良猫が増加していったので、裕福層の暮らす地域でしか 野良猫の姿を見ることはなかったのです。 そう考えると久兵衛さんの住んでいた辺りは野良猫が発生するのが早い方だった とも言えるので、56匹もの野良猫(妖怪?)が集まること自体はありえそう、 鎖から解き放たれた飼い猫が寄り添うにはいい土地だったのかもしれません。 でも化け猫ほどの長寿となると謎は残ります。



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